端書き
2020年くらいから若年層の日本語が乱れ始め、結構致命的な段階まで来ている。
いまさら? と思うかもしれない。だが私が言っているのは「ら抜き言葉」とか「よろしかったでしょうか?」といった、有名な「間違った日本語」のことを言っているのではない。また単なる美的観点から「日本語が乱れている」ことを憂うわけでもない。本来の意味と異なる単語や熟語や言い回しが氾濫しているのだ。
言語は文字通り共通言語であるが、言葉の誤用の氾濫が、言語の共通言語性を失わせることになる。同じ言葉を用いても、受け取り手それぞれが異なる意味を受け取る可能性があるということだ。これは意思疎通の著しい妨げとなり得、これによる各所での議論の困難さが引き起こされる。
原因の一つは言うまでもなくインターネットの普及による未成熟の文章の氾濫。特に一般人が動画サイトにアップロードする切り抜き動画や解説動画だ。
そのほか、「正しい」(かぎかっこを付したのは、ここでは「正確な言葉遣い」というものがそもそもあるかどうかを考慮せず、「正しい言葉遣いとは何かという追求」という意味で理解してほしいからである)言葉遣いに対する人々の関心の低さ、それによる言葉の「正しい」用法への関心のなさおよび校正の軽視、日本語の乱れについて問題提起する人の少なさや彼らの行動力の低さおよび主張する論理の脆弱性や古さ、堅苦しさ、時代錯誤なイメージなど、根本的・派生的原因は多々挙げられる。
本企画が目指すものは、すべての人が正しい日本語を使うようになること、ではない。その理由は次のとおりだ。
言語は意思疎通のために使われるものだ。さまざまな考え方や視点を持つ人々が議論する際、全員が正しい日本語を使うことを心がけるとどうなるだろうか。もちろん誤解が生まれることは少なくなるだろう。だが、発言の瞬発力、目の覚めるようなアイデアの出現、既存の言語では説明しにくい概念の提示なども併せて低下もしくは少なくなってしまうのではないだろうか。元来、言葉の読み取りや聴き取りはそれなりに脳を働かせる行為だ。脳の限られた容量やパワーの多くをその議論におけるハードとなる言語に割いてしまい、その分建設的思考を行う余裕がなくなってしまうのなら、それは議論として十分に機能しない、非効率的な議論ということになってしまう。
つまり、一般に言われている「乱れた言葉遣い」を用いて創造的な意見や行動が今現在できている人には、私は無理に「日本語は正しい用法で使おう」などと強く求めないということだ(もちろん無意識下で十分に言語の正確性を保持しながら創造的意見や行動ができる人はそのままでいてほしい)。
あえてこうしたことを言う背景には、「ファッション『意識高い系』」(ファッションに関する意識が高いのではなく、ファッション的な「意識高い系」)の過剰増殖がある。言葉はあくまでもハードに過ぎず、中身のない議論はあくまで無意味で時間の無駄だ。特に同世代との共感中毒に陥っている若者から人気の若いオピニオンリーダーから発信される主張における論調がファッション意識高い系を恐ろしく増やしている。
さして創造的意見を言うわけでもなく、ともすれば見当違いの意見をさもデキる人風に言うような、要するに勘違いしている人間ばかりになったら日本は終わりだと思っており、現にほぼ終わっていると個人的には思う。
続くかも。続かないかも。
ももいろほっぺが好きすぎて
y m t s r b
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o o o u e a
自分も幼い頃観ていた「おかあさんといっしょ」を娘にも観せようと思い、一人でお座りできるようになったところで、今の「おかあさんといっしょ」を観た。
着ぐるみパートは、じゃじゃ丸、ピッコロ、ポロリのときみたいにキャラクターの名前が歌に入ってないからすぐにわからなかったり、
最後の体操「からだダンダン」のところ、「へえ〜、体操のおねえさんもいるんだな」と思ったり(もちろん「え、吉田戦車!?」と思ったうえで)、
「きんらきらぽん」の冒頭の音だけで胸が熱くなったり(なんだろうねアレ)、
してからの『ももいろほっぺ』。
3月の歌なんだってね。
でもそのときにはまだ「おかあさんといっしょ」を観てなくて、たまたま観た12月1日に『ももいろほっぺ』が流れてて、最近子育てに追われてまったく音楽聴いてなかった耳と胸に刺さりまくって。
音楽もさることながら踊りもいいよね。
(動画が隆盛を極めてるこの時代に今一つな振り付けで済ませてるものなんかそもそもほとんど無いけど)
特にサビ冒頭の頭の上で4回ハートを模るところ、好きだなあ。
字幕出てたね、振り付けはSAKO MAKITAだって。
杏月おねえさんのソロ新体操もいいし。
3人横並びでほっぺをちょん突きするところもかわいいし。
何よりおねえさん2人の笑顔だよね。
プライベートでは自由だけど、とにかく番組の中だけは心からの笑顔を周りの子どもたちやテレビの前の子どもたちに向けなきゃいけない、大変な役割。
歌のおにいさんの方は初見、爽やかイケメンで隔世の感があったけど、
(昔のおにいさんがイケメンじゃなかったってことじゃなくて、ビジュアルの方向性が変わったってことね)
やっぱりちゃんと親しみやすそうな表情だしね。
おねえさん2人の話に戻ると、自分をかわいく観せようとする笑顔じゃなくて、相手(子どもたち)を楽しくさせようとしてる笑顔だってことがすごく伝わってくるんだよね。
男女問わず決め顔のアイドルだらけのCMやらポスターやら番組やらに辟易していた僕に、ストレートに刺さって染み込んで心奪われて。
娘より「おかあさんといっしょ」を楽しみにしてます。
それで、さらに面白かったのが、ヤマモトショウ作詞作曲だってこと。
むかーしむかし、女性ボーカルとかグループとかだけが出演するライブがあって、ガールズポップなんとかとか言ったかな? 忘れちゃったけど、僕はそこにハナエ目当てで行ってたわけ。
そこにはまだちょいマイナーだった頃のでんぱ組が出てたりして、モノホンのヲタ芸を目の前で見て圧倒されたりしたんだけど。
その中にふぇのたすってグループ(バンド?)がいて、ボーカルの子は青系のフリフリ衣装だったかな、かわいい感じで。
そこでギター弾いてた男の人がヤマモトショウで。
曲間のMCでボーカルの子が「ほんとにショウさんはすごくて。天才で」みたいな、ちゃんMARIが川谷絵音を褒めるときみたいな感じのことを言ってて、僕はその時演奏聴いただけでどのくらい天才なのかがわからなかったんだけど。
ヤマモトショウに触れたのがその時以来。
わからないけど、アイドルになりたいっていうのは結構な数の女の子が持っている願望で、
まやおねえさんと杏月おねえさんだってそう思っていてもおかしくないと僕は思うわけ。
ほんとのところは知らないけど。
でも歌のおねえさんと体操のおねえさんは、少なくても現役の間はアイドルにはなれないはず。
そういう役割じゃないからね。
でもこの曲のおかげで、歌と体操のおねえさんであり続けつつ、アイドルらしい歌もダンスもできて、きっとすごく楽しかったんじゃないかと思うんだ。
そのままアイドルが歌っててもおかしくない本気のアレンジだしね。
というわけでMP3でもあるかと思って探したんだけど無くて、ガッカリしてたそんな時に、
そうだ!ちゃんと受信料払ってたんだった!NHK ONEだ!
ということで12月1日放送分のももいろほっぺ部分だけヘビロテ中。
またいつ放送されるかわからないから毎日録画しとくしかなさそう。
とりあえず『ももいろほっぺ』がタイトルになってるおかあさんといっしょのベストアルバムはポチる予定。
シングルカットされて初回限定版でMV付いてたら間違いなく買うのになあ。
なんかそういう若い時の音楽にかける情熱を思い出させてくれた曲だった。
ありがとうヤマモトショウ。
そしてナイスタイミングで生まれてくれた娘ありがとう。
わしの理想の漫才番組
僕の心のヤバいやつの「つづく」のCDの感想
久しぶりのコミックスで特に前巻を読み返しもせずに一気読みしたけどやっぱりいいですこのマンガ。
だけど特装版のCDは、いかにも手売りされてそうなラベル面とかよかったけど肝心の曲がちょっとアレだったかな……
最初は「いや、これも学生バンドが頑張ってるふうなところまで再現してるんだ!きっとそう!」と思いながら聴いてたけど、途中からやっぱり「いや…これはちがうな……」ってなってしまった。
たしかにね?たしかに、曲つけんの難しい歌詞だと思うけど。文章っぽいしさ。
これを聴いて思ったのは、やっぱり詞先の「木綿のハンカチーフ」に曲をつけた筒美京平ってすごいにゃ!ってことでした。
アニメは1期の初回を観てみたけど、京太郎も山田も声が違うなってなって観るのやめました。
京太郎はオタクというより陰キャの方を強調した声が、山田は裏声のお嬢様みたいなのじゃないヤンチャ声が良かったなーと一人思ふ。
とにかくこのマンガは少年マンガ要素(主にエロ)と少女マンガ要素が高純度で混ざり合っていて、すごいと思う。
市川姉、萌えるぜ!(コミックス勢)
みんなの街にMOTHERのストリート 池袋編

今日から始まったということで、すごく久しぶりに池袋へ行ってきました。
18時すぎくらいに着いたら、すでに数人がウロウロ。
後からだんだん混み始めたところでいくつかグッズを購入して、写真撮ってPARCOを後にしました。
もしほぼ日のスタッフさんがいたら、フランクリンバッヂのデザインについて言いたいことがあったのですが、PARCOのスタッフさんぽいのでやめておきました。
言いたいことっていうのは、
フランクリンバッヂ……もしMOTHERの世界に登場してる物だったなら、「MOTHER」って書いてあるのおかしくないか?
ニンテンやネスが「MOTHER」って書いてある物を持っていたらおかしくないか?
「え…『MOTHER』ってなに…?」ってなるやん。
「え…『FRANKLIN』じゃないの…?」ってなるやん。
「ゲームの中に登場したアイテムを忠実に再現!」っていうことなら、例えばロゴを裏側に刻印するとかがよかったなあ……
(こんな事言いながら、MOTHER3の限定版についてたフランクリンバッヂは大切に持っている)
検索してもそれらしき意見は見つからないから、ほんとに誰も気にならないのか疑問です。
モナカの領域
今週のお題「最近おもしろかった本」
おもしろかったというか今まさに読んでて、
なんか読み進めちゃっているのが
その前に読んでたのが硬派な小説だったので
なんだかスイスイ読めてしまってます。
あっという間に5分の1くらい読んじゃったけど
大丈夫かなこれ?と心配になるほど軽いです。
「最高傑作」との言葉を半ば信じて読んでます。
たとえ面白くなくてもショックは受けません。
小説の煽り文句なんてそんなもんだから。
だけど弊害として、本当に面白い小説が見つけられにくくなってしまうということを
出版社で働く人には忘れないでいてほしい。
たとえ上に言われて、歯が浮くような文句を帯に刻まなければいけなくなったとしても、
「私は、俺は、全然心にもないことを書いている」
と心でつぶやいていてほしい。
よろしく。

