受験生フィールド

鬱屈した爆発! 鬱屈した爆発! 鬱屈した爆発! 誰があなたがココに来ることを予期しただろう?

書評家でもなんでもないけど正直で過激な感想を書き込む読書ブログの存在

僕は読書量で言うと、世間の自称本の虫の人たちに比べるとその7分の1くらいしか読んでないわけだけど、たまに良くも悪くも物凄く言いたいことが噴出してくる本というのがある。
そこで大体僕はその本の世間からの評判が気になって検索するわけだ(ここまでは取り立てて言う必要がないくらい至極当然のことなのだけれど)。
そうすると僕はほぼ確実にその本に関するマトモな感想や書評がないという現実に直面することになり、あーあ、やんなっちゃったってな具合になるわけだ(わかってくれると思うけれど、僕は例の「古典派」の本を読んでいる途中で自然と口調も似てきてしまっているというわけなんだ)。
つまり僕が森見登美彦の『聖なる怠け者の冒険』や川上未映子の『ヘヴン』をつまらないと思って同志を探しても(この時点で相当情けないと思うけれど)、世の中のジョーシキ人はそんなことを読書メーターAmazonレビューに書きこそすれ、わざわざ恨みでもあるかのように自分のブログに悪口を書きとめるような人を見つけることはほとんどできないというわけなんだ(ほとんど、といったのはたまにはあるのだ、驚くことに)。
でも考えてもみてほしいんだけれど、仮にも売れ筋の本であるなら、いかに良作といえども悪口や誹謗中傷のひとつもないということはおかしいのではあるまいか。つまりそれだけ人の目に触れている作品ならば、欠点がないとかえっておかしいのじゃあるまいか。だってあの「古典派」の好きなシェイクスピアだって猛烈な批判にさらされているわけだから。
つまり僕が言いたいのは、本が好きな人は自分が抱いた感想を無闇矢鱈に口外(文外?)しないのではないかということだ。そうでないと辻褄が合わない。ここまで考えて僕はやっと一種の安堵感に身を任せることができるってわけだ。何故かというと、世間一般のジョーシキ人はまだ古き良き(というのも変な話だけれど)日本人的な奥ゆかしさを持っているということになるからだ。そこで僕は(これだけは信じてほしいんだけれど)いくらか安心して、今もこうしてブログなんかに考えたことを書き連ねちゃうというわけなんだ、あーあ。
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