受験生フィールド

鬱屈した爆発! 鬱屈した爆発! 鬱屈した爆発! 誰があなたがココに来ることを予期しただろう?

多崎つくるの朝日の書評を読む。

再社会人化!リサラリーマニング!
 
そんな通勤時間を利用して読んだ『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。
村上作品は読むと肌寒い感じがして、それが安らぎとか緊張とかいろんな気持ちを自分の中から掘り起こしているかのような感覚になるのですが、今回はそれが少なかった。比喩も控えめだったのは少し残念。
なんというか、いつもよりも「まとめよう」という意思が感じられた。「人生はこういうものだ」ということを物語によってではなく、直接意見を挟むことによって。
でも、感動が少なめだったのは電車で読んだせいもあるかもな。やっぱり読むときは一気に読まないとね。
良かったです。
 
以上は自分の感想なんだけど、2013年4月23日付朝日新聞朝刊文化面に4人の書評が載ってまして、それを読んで思うことがあったので書きます。
その前に、はやりの本を読むという行為は、より多くの他人と議論できる可能性が古典よりあるから、その点がよいと思う。
 
書評を寄せたのは翻訳家の鴻巣友季子、俳優・作家の中江有里、文芸評論家の市川真人、同じく文芸評論家の加藤典洋
 
鴻巣氏は今作に「社会の縮図を見た気分」だと言ってるけど、まず小説批評においては陳腐な表現だよね。
男性に対する偏見も持っているし、俺基本的にこういう人好きじゃないのよね。
「声の小さいものが切り捨てられ、弱者が消え、優しいものが過大な重荷を背負う」と言うけど、つくるはリンクが弱いだけで声が小さくはなかったし、優しいのはつくるだけじゃなかったし。
 
中江氏は子供っぽい感想だった。
 
市川氏は、一番共感できた。
確かに「端正」に書かれていると思った。
この人だったら文芸評論家と名乗っていいと思う。
 
加藤氏は、「今、恋愛とはそういう問題になっているのではないか」と言っている。「そういう問題」とは「重要なのは誰かの愛を得ることじゃなく、誰かを愛せるかということ」。
でもキンキキッズが『愛されるより愛したい』と言う曲を十数年前に出したので、「今」の話じゃない。
この人はこじつけが好きなんだな。
 
 
何か大江健三郎の小説が読みたくなった。